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[ 美走 RUNNING CLUB powered by MIK] エリア:千葉県 習志野、船橋、八千代、千葉 幕張・稲毛 個々に合わせた運動でランニングトレーニングを継続できます。

2019/01/23

20年前:1999年1月31日へタイムスリップ


みなさんは、20年前の1999年1月31日(日)、何をしていましたか?
家の整理をしていたら、懐かしい写真がでてきました。
「1999大阪国際女子マラソン」

コーチはこの日、名だたるランナーの先頭を走っていました。旧姓:掛端美歩(かけはた)で。クラブメンバーのみなさん、MIHOコーチはマラソン走ってたんですよ。
なんだか信じていない方もいらっしゃるようで笑。

いまでは普通になりましたペーサー、ペースメーカーは、当時はいませんでした。ですから、どうしてもこの頃の女子マラソンは、スローペースでのレース展開というのが通常でした。
そこで、監督から「そこを打開してマラソン界に風穴を開けよう!」と、先輩の世界陸上切符をかけ、私がペースメイクすることを指示。まだマラソン経験の浅い私にとっては、今後自身のレースにも活かせるというチャンスでもありました。

スタートしてからは、前半のスローペースを避けるべく相当集中してました。3kmすぎから徐々にペースを上げていきます。しかし、その後ペースを上げすぎたところがあって、みんなついてこなくなる状況になり、監督コーチ陣は焦ったようです。確かに、15kmすぎて森ノ宮の坂を上っている時に、誰もついてきていないことに気づいて、やばい速すぎた?って思ったんですよね。それからは、集団が来るのを待って走ったのですが笑。

ハーフまでの任務を遂行し、その後一気に気が抜けましたね。ハーフからは必死の走りでなんとか完走。先輩は、無事世界陸上の切符を掴み活躍されました。
そして、その先輩は、今年2019年1/27大阪国際女子マラソンに出場です。自ら大会標準記録3時間10分を切っての出場、流石すぎます!

今でも、あの森ノ宮の坂から集中力を切らさず走っていたらどうなっていたかな?と思う時があります。
あの時の自分、あの時の壁を超えていない自分がいるのではないかと考えさせられる時があります。

でも、あの日の走っている瞬間は、「ペーサーとしての責任を果たしたい!」「先輩を世界選手権に行かせたい!」。ただそれだけ、素直に、熱い想いを胸に集中していましたね。
湘南トラッククラブ・インターナショナル理事代表 上野さんがペーサーについて書いています。
上野さんのブログより→

さて、その後の私はといいますと、世界クロカン日本代表や、国際駅伝日本代表になることができましたが、なかなか自分のマラソンに繋がるような形にはなりませんでした。それでも、悩み苦しみながらも、その時々でベストは尽くして走りつづけました。
どんな距離でも指示されたら的確に走れるランナーになろう!という想いで練習に取り組み、5千m1万m日本選手権に出場、駅伝も様々な区間、もちろん花形区間も任されました。都道府県女子駅伝も何度も走りました。全日本実業団の長距離合宿ももちろん参加しましたし、全日本実業団中距離合宿にもいきました。800m1500mの大会にももちろん出場したことありますしね。
800mからフルマラソンまで、様々な多くの経験を積むことができました。
辛いこともいっぱい経験しましたし、様々な失敗やケガもありました。リハビリに数年かけた時期もありました。しかし、それが今の自分の糧になっています。

成功者だけではない陸上界。
それは、陸上に限らすどの世界も一緒だと思いますが。わたしもその一人。

目立つ活躍をする選手にはなれませんでしたが、多くの学びがあった陸上競技生活、多くの失敗経験があるからこそ、そして、成功してきた人をそばでみてきたからこそ、適切なアドバイスができると思っています。今後の指導に活かして、いままでも、これからも、丁寧な指導を心がけてまいります。


こんなコーチではありますが、どうぞよろしくお願いいたします。

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わたしも監督も若い

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